第五回西安旅行記 (はじめに) ひょんなことから、中国の西安に行くことになりました。友人の川井さんから誘われたのですが、中国には生涯行くことがないと思っていましたが、以前、兵馬俑のことをテレビなどで見て、一度は見てみたいと思っていたこともきっかけになりました。それに、普通のツアーではなく、西安治療センター(指圧・鍼)の安先生が引率され、ご友人の漢方の名医の方とのコンサルティング、足浴マッサージの体験など、面白い企画があったからです。また、シルクロードの出発点という、ロマンをかき立てる要素もありましたしね。 ずっと先だと思っていましたが、あっと言う間に出発が迫りました。総勢18人、私を含めた何人かの方を除いて、患者様ご一行の出発です。 2月20日(日) 午前10時発日本航空609便、成田発西安行きは、ほぼ満員の乗客を乗せ、ソウル、渤海湾、天津、山西省タイユアンなどを経由、順調に飛行、上空からは時々雪が見 ![]() ![]() 中国は、まだ旧正月が続いていて、街角に赤い雪洞のような正月飾りがあり、時々爆竹が炸裂しています。我々の帰る2月24日が正月の最後だそうです。 まず向かう先は、西大門(安定門)。いわばシルクロードの出発点です。はるばるローマまで13000キロ、西洋の文化、香料や宝石など様々な文物をもたらし、また、中国からは絹織物、工芸品が運ばれたのがこのシルクロード。後漢時代には仏教まで伝えられたこの通商路にしばし思いを馳せた。この長安(西安)が最も華やいだのは唐の時代であった。唐は建設途中であった隋の大興城を引き継いで、壮大な長安城を築く。平城京、平安京のモデルとなった長安城は、現在の西安城の9倍、最盛期には100万人の人が暮らしていたそうです。今の西安城は600年ほど前に作られた比較的新しいものですが、4つの大門をつなぎ、周囲14km、幅役15mの城壁をぐるっと回ることもできますが、4時間もかかるそうです。この安定門には天皇皇后両陛下も来られたようで写真がありました。また、門の上には売店があり、特産の絹製の絨毯などが販売されていましたが、なかなか質のいいもので、格安と見ました、買えませんが・・・。 しょっぱなから、雄大なものを見せていただきました。 西大門を見学したあとは、碑林博物館へ。ここは元来、孔子廟です。漢から清の時代までの石碑や墓誌が3000点も展示されています。私などの門外漢でも名前を知っている、 ![]() 王義之、顔真卿などの書が石碑に彫られ、また、拓本も行われてます。また知識人の必修本だった13経、650、252の文字が石に刻まれています。昔、書写の際、書き間違いを防ぐ、原本(原石?)としての意味合いもあったのでしょう。中には、日本の昭和、平成などの元号を頂いた論語などもありました。でも、余談ですが、元号、もう止めませんかね、止めないまでも、中国の古典からとるの止めましょうよ。いつまでも日本は中国の属国のように思われますよ。だいたい日本のネーミングは気に入らない。日本アカデミー賞、日本アルプス、日本ライン下り、日本ロマンチック街道、原宿シャンゼリゼ、中野ブロードウエイ、もう恥ずかしくてしょうがありません。もういい加減止めましょうよ。サルマネは。でも、いくら中国から頂かないといっても、ミレニアム元年、2年なんてのはだめですよ、南セントレア市みたいな。 しかし寒いですね、ここは。底冷えというか、やはりマフラー、手袋は必携でした、寒い、寒い。 さて、最後は食事。西安は年間降雨量600ミリと少ないためか、ここの人はご飯を食べません。主に麺類か、餃子、のようなものが主食のようです。今日は、麺づくしということですが、様々な野菜を使ったピリカラのお料理はとても美味しかった。そうですよね、ここは四川に近いから、こういう味ですね。それにしても、皆さん食材に関して詳しいですね。私なんか何食べても全然分からない。今日は漢方の先生のコンサルティングがあるので、お酒はダメとのことでとても残念。 夜、漢方の先生と面接。長いこと脈をとったあと、やはり問題はコレステロールと中性脂肪で、かなりやばいとのことでした。漢方薬を処方していただいて、しばらく飲んでみます。また、来るべき恐怖の花粉症は安先生の鍼で治るとのことで、後日治療センターを訪れることにしました。 こうして初日は更けてゆきました。ホテルは西安皇城賓館、まずまずのホテルです。立地もいいし。でもフロントで思わず英語で話してしまったのは自分でもおかしかった、通じません。困ったと思ったら日本語が通じました。 |