第五回西安旅行記(続)

2月21日(月)
 ホテルでの朝食。おかゆなどはあったようですが、洋食にしました。パンはイマイチですが、オレンジジュースは美味しかった。
 立傭今日はいよいよ兵馬俑の見学です。兵馬俑の発見は比較的新しく、1974年井戸掘りに来た傭さんという農夫がと陶片を発見し、これがきっかけで、国家的大事業の発掘が始まり、そして、世界遺産にも登録される観光資源となったのです。現在1,2,3号抗の3つからなり、8000の陶俑と600の馬俑が埋蔵されているとされています。
秦の始皇帝は、中国の歴史上、初めて全国を統一された人ですが、即位後すぐに自分の墓の建設にとりかかりましたが、兵馬俑とはその副葬品です。こんなものが作られたひとつの背景は、当時皇帝が死ぬと、後を追って殉死するものが多く、国力がおちる原因ともなるのでこのような兵そっくりな人形を作らせて、副葬抗に埋葬させたという話が残っています。これは、当時の実際の姿よりは大きく、約2mの身長があり、自軍の強大さを誇りたかったのでしょう。一番大きな1号抗は東西230m、南北62mと壮大なもので、サッカーのピッチは2つ、すっぽり入ってしまうほどの大きさです。
 また、秦の始皇帝廟の南側から青銅の馬車2台が発掘されましたが、兵馬俑とは逆に、これは実際の大きさの2分の1のミニチュアです。こなごなに壊れていたため、8年の歳月をかけて復元しました。1台目の馬車は4頭立てで、馬は平行に4頭並んでいます。御者は御者台の右側に座り、左側には傘が立ててありました。余談ですが、ヨーロッパ大陸がわが国と異なり、右側通行になったのは、イギリスの馬車が1頭立てに対し、4頭立てであったことに由来すると言われています。イギリスは1頭の馬を御するため御者台の右側に座りますが、これは右利きが多いため、助手台に座る人に鞭が当たらないように配慮するためです。青銅の馬車従って左側通行になりました。これに対し、大陸は4頭立てでも、横並びではなく、2頭ずつ2列です。御者は4頭の馬を同時に御するため、後列左側の馬に乗ったそうです。これもやはり右利きが多いということからでしょう。だから右側通行になりました。この中国の青銅の馬車を見ると、やはり御者は左側に位置していたのではないだろうかと愚考しますが、いかがでしょうか。くだらないこと考えますね、私は。日本がなぜ左側通行になったのかは分かりませんが、もしかしたら、侍がすれ違った時、刀の鞘が当たらないように考えたのかもしれませんね。2台目の馬車は1台目よりもっと凝ったもので、こちらの方が破壊が激しかったようです。(右写真)2号抗、3号抗と見学し、最後に売店に行きました。兵馬俑のミニチュアが売られていましたがここは高いと聞いていましたので、買いませんでした。(結局兵馬俑の人形は買いませんでしたが・・・)ただ、ここにはあの発見者の傭さんがいて、カタログを買うとサインをしてくれるというので、思わず買ってしまいました。この傭さん、世界遺産を発見したのだから、さぞや大金持ちになっていると思いましたら、確かに超有名人にはなりましたが、発見の報酬として国から頂いたお金は300元(約4000円)だそうです。道理であんまり期限良くなかった。なぜか写真はNOでした。外に出ると、ミニチュアはいらないかとうるさく近寄ってくる人がいます。確かに中よりは安いですが、これでも市内と比べると倍以上でした。この国はとにかく値段がいい加減、値切る楽しさはあるかもしれないが、高く買わされた時は誠に不愉快。私、値切るの苦手、百貨店出身だから・・
華清池の楊貴妃像 次はかの玄宗皇帝と楊貴妃が冬の間過ごしたという華清池へ。ここは3000年前の西周の時代から温泉が湧いていて、歴代の皇帝がここで遊んだようです。玄宗皇帝はここに華清宮という名の宮殿を立て、毎年10月から翌年4月まで、ここで過ごし、2人は1日中酒盛りをしたり、歌舞音曲や色事にふけっていたそうで、世が乱れる典型のようですね。ここには、楊貴妃専用の温泉もありました。また、ここは西安事変の舞台としても有名で、1936年12月張学良は蒋介石を監禁、彼に内戦の停止と抗日運動に立ち上がるよう要求したところです。
 日本にも楊貴妃観音というのが京都にありますね。京都で最も格式の高い、皇室の菩提寺である泉湧寺に楊貴妃観音があります。・長いこと拝観はできませんでしたが、今はだれでも見ることができます。山門を入ったすぐ左側に鎮座しています。説明によれば、楊貴妃をなくした玄宗皇帝が作らせたものを、この寺の高僧が譲ってもらって持ち帰ったということになっていますが、私の尊敬する松本清張氏は、ロマンはロマンとして楽しいが、これはどう見てももう少し時代が浅く、宋の時代のものではないかと喝破しています。右は楊貴妃専用温泉。左は実際に温泉が湧き出ていますが、手を洗うのに5角(約7円)とられました。
 さて、食事後、次は陝西省歴史博物館の見学です。1973年に周恩来首相が碑林博物館を見たときに、陝西省歴史博物館陝西には文物が多いのに博物館が小さいと指摘したのをきっかけで1991年最新式の設備を備えて完成したのがこの博物館。あまりに知識がなく、勉強不足なので、何がすごいのか、正直言ってよく分かりませんが、とにかくすごいですね?!商(殷)・周の青銅器、周から近世に至る陶俑、唐代の陵墓壁画、金銀器が並べられており、まさしく国宝級だそうです。が、これは、猫に小判ですね。私も古いものは好きですが、とにかく分かりません、ごめんなさい。ただガイドさん(女性)に、宗の時代の仏像はほっそりして繊細ですねと、松元清張氏の受け売りをしたら、ちょっぴり尊敬されました。
 次は、中国式茶道見学と試飲。かなり大きなお茶屋さんに案内されました。小さな杯を暖め、急須に葉を入れて、お茶を立てます。今回はじめて見たわけではありませんが、なぜか最初の一杯は捨てますね。ただ、作法だと思っていましたが、あとで聞いたら、中国では、あまり綺麗ではないから、
、洗うというのが考え方のようですね。例えば、シャツを買ったとすると、ま新しいままでは着ずに、一度洗ってから着るそうですよ。色々なお茶えお味わったあと、さて肝心の販売となったときに、突然停電。これではどうにもならないと帰ろうとすると、明るい玄関前にお茶を運んで、強引なセールス。少々うるさかったが、その商魂には頭が下がりますね。少しお茶を買いました。
 大雁塔次は大雁塔へ。ここは玄弉三蔵がインドから持ち帰った多くの経典や仏像を納めるべく、高宗に誓願して立ててもらった塔です。高さ64メートルもあって、登るのは少々疲れたなと思っていたら、時間的にもう上がるのは終了とかで、正直ホッ。写真撮りましたが、この塔ちょっと傾いてますね。これは地下水の影響らしく、100年前から傾いてるそうですよ。ここの寺の前に大きな広場があって、凧あげをしたり、いつも沢山人がいます。どこでもそうですが、中国人は何するでもなく、大勢たむろするのが好きですね。用かないなら早く家に帰ればいいのにと思いましたが、そうやって話をしたり、佇んだりするのが好さなんですよね。
 さて、夕暮れが迫ってさました。今日の夕食は、西安名物火鍋料理です。例によって、沢山前菜が出たあと、山盛りの野菜と、羊肉のしゃぶしゃぶです。やっぱりからい(hot)ですね、そう多<は食べられません。別に羊肉が苦手という訳ではないんですけど・‥。ここへ来て、初めて口にする味に沢山お目(お舌)にかかります。
このあと、足浴マッサージの店に向かいました。足浴マッサージだけでも80分くらいかかるのですが、それにプラスして、全身マッサージも受けました。本当に気持らよかった。2時間以上も、もんでもらって、料金は130元、1700円です。この日はもともと足浴マッサージか予定されていたので、70元だけです。確かに気持らは良かったのですか、ついでに疲れも出てしまって、ぐったりです。帰って旅行記も書かなければならないし・‥・これでも結構大変なんですよ。火鍋
 さて、ここで西安の経済状況。一般の人は月給が1500〜2000元くらいだそうです。1元はおよそ13円ですから、日本円にすれば2万円〜2万5千円というところでしょうか。ざっと、日本の10分の1程度でしょうか。タクシーの初乗りは3キロ(日本は2キロですね)まで6元(78円)、1キロ増すことに1.5元。チップはなく、またこの西安は時間併用というのがありませんから、渋滞に巻き込まれても安心です。(北京、上海はあるようですね)パスは2種類あって、空調完備のパスが2元(26円)、そうでないパスが1元(13円)、市内ならどこまで乗ってもこの料金です。
 ものの値段はですね、いい加減そのもの。高級デパートは別として、値切らないとどうにもなりません。どのくらいふっかけているかも分りません。ある人の話によれば、60元だったのが、最後は4.5元にまでなったそうです。こういうのいやですよね。だからあまり買物しません、私。食べ物は持に安いですね。これもある人の話ですか、以前北京タックをたらふく食べて、割り勘したら、1人1000円だったとか、これは10倍程度の話ではないですよね。
 もひとつ、交通事情。中国は信号か少ないんです。思い切って道路を横断しますが、車か止まってくれません、こわいこわい。だから、皆で渡れば○○って感じですが、それでも止まらない。つい、「おい、止まれよ」って思わず叫んでしまいました。